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たかはた便り

【たかはた便り⑩】2015/12/01

初冬の味 青菜(セイサイ)を収穫

青菜青鬼クラブ第2農園(高畠町元和田 約900㎡)で22月20日午後、一株一抱えもある山形特産の青菜(セイサイ)を、地主のたかはた共生塾プロジェクトメンバーの渡辺宗雄さんと、佐藤治一さんの指導で300株ほどを収穫しました。石井幸子、吉川直子、原礼子”紅軍団“が主力となり小型トラック2台分の青菜を渡辺邸に運び、直ちに水洗い、塩を振ってバスタブサイズ2台分の桶に漬け込みました。

2,3週間ほどで水が上がり、あの鮮やかな「青」、爽快な「香気」ピリッと「辛み」の効いた「青菜漬け」が出来上がります。

再度水洗いして塩気を流し、2%の塩で本漬けします。その際2センチに切り、昆布、ニンジン、大根、トウガラシなどでつけると「おみ漬け」になります。

 星寛治さん会員の皆さんふるってご賞味下さい。既に浅漬けを試食しましたが今季初収穫の「かぐやひめの詩」のおかわり確実です。

青菜を介したぎりたつ太陽と水と土の精気を取り込むかのようです。

星さんのリンゴ園ではシナノスイーツ、ふじなどの今秋最後の採りいれに加わりました。真っ赤に燃える珠玉の大奔流に圧倒されました。底抜けに透明な北国のこの季節の青空を紅に染めた秋の実りに、心が震えるほど感動を覚えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

たかはた米便り(2015年立冬)

星寛治(高畠町有機農業提携センター)

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みのをつけた農民たち行進に例えられるハサ掛け米

その後、お元気でお過ごしのことと存じます。

はるか飯豊の尾根に初冠雪を望み、里山に紅葉がもえる頃となりました。

田んぼは杭掛け天日乾燥の稲の脱穀を終え、漸く収納した籾の調整にとりかかったところです。

振り返ると、夏の猛暑と干ばつ、秋口からの台風と大雨など、激変する天候に揺さぶられながらも、稲はたくましく育ってくれました。平場の美田地帯は元より、私どもの山里の田んぼにも例年になくきれいな表情をみせ、豊作への期待を抱かせました。

9月下旬から10月初旬にかけて稲刈りを進め、地面に差した稲杭に稲束を掛けていきます。2週間ほ

 

ど穂を乾かし、反転し、ワラを乾かしてからハーベスタで脱穀し、収納します。とりわけ有機栽培歴41年目のヘイケボタルの舞う田んぼの籾は重く、手応え十分でした。生きている土の贈り物です。品種は山形95号で、つや姫(山形97号)の姉にあたります。

県の試験圃場の依託を受けて4年間試作しそのデータも活かされて、昨年奨励品種として登録されました。

6年目の今年は我が家の主力品種に据え、手塩にかけて育てました。

収納した籾は、漸く11月上旬に籾擂り調整し、玄米にいたしました。ライスグレーダーからこぼれる玄米は、鼈甲色に輝き、粒々が自立した表情で語りかけます。心配していたカメ虫の被害粒も昨年より少なく、ホッとしたところです。

「山形95号」はオリジナルの品種ですが、県の統一した銘柄名はつけず、地域ごとの愛称をつけて流通するようにとの方針です。そこで有機農業提携センターを中心に話し合いを重ね、提携する消費者市民の皆さんの意見を加味し「かぐや姫の詩」という固有のブランド名でデビューすることといたしました。

内規として有機栽培した稲束を天日乾燥した玄米精米に限定し、少量からのスタートです。

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べっこう色に輝く有機農業栽培米

私どもの作品は市場には出さず、長い間顔に見える関係を持続し、信頼の絆で結ばれた市民の食卓にのみお届けいたします、

価値を共有し、食の未来と持続する地域を拓く共同の所産として広めたいと願っています。

激しい気象変動と、社会経済の激震にも耐え抜き、しなやかにたくましく生い立ち、天空に飛翔する「かぐや姫の詩」のロマンを、共に噛みしめていただきますようお願いいたします。

ご用命をたまわり、まことに有難うございました。

2015年11月吉日

 

 

 

 

【たかはた便り⑨】2015/11/1

広介祭の11日、あるひろすけホールでは『複合汚染、その後そして未来』―有吉佐和子没後30周年を記念しての講演会が、ひろすけ会とかたはた共生塾プロジェクトの共催で開かれました。

 第1部では県立高畠高校生による「私の好きな風景―ふるさとCM政策上映会」12作品の審査会が行われました。生徒たちが映像を制作するために、早稲田環境学研究所とたかはた共生プロジェクトが授業として専門家を派遣し、完成させた作品です。第2部では『複合汚染』の持つ意味を原剛共同代表が話し、ついで「有吉佐和子の素顔」を星寛治代表が「東日本大震災以後の社会、複合汚染地域に何が起きているか」舟橋映画監督が話した後、有吉佐和子の娘である有吉玉青大阪芸大教授を交えて対談が行われました。

「複合汚染」の上巻150頁に「「あの日」上野駅から特急「山鳩」に乗った」とあるのは「1974年10月高畠町への取材(4日間)に訪れたのである。高畠町有機農業研究会誕生した翌年で、初めて育てた有機米収穫の時だった。滞在中のスケジュール調整と案内をさせていただい事が鮮明に思いだされる。

文中に在る「本当のりんごは紅玉」今も大事に星寛治さんの園地で栽培されているし、「ブルトンザ-」と洒落てみた放牧養豚場の青年は、佐藤治一さんのことだ。私の記憶の中で今も印象に残っているのは、薄っぺらな取材ノート(大学ノート)を見たとき、簡単な数行のメモだったのに、著書では、正確で豊富な内容量になっていたことだ。

 

【たかはた便り⑧】2015/10/1

稲杭春からの好天で稲の生育は例年より早かったが、先月中旬から低温と日照不足、集中豪雨などの影響を受けたことで、ここにきて成熟がやや遅れ、刈取り時期も平年よりやや遅くなった。日照時間は平年比40%(8 月・米沢市)だが、成熟の遅れ以外の被害はない。刈取り適期が短くなるため刈り遅れに注意することが、おいしい米をつくる今秋のポイントだ。気温が低いためりんごの着色はよく、ラ・フランスは果実肥大が良好である。

 

 

 

 

東日本の高天原

高畠町日向洞窟遺跡

縄文時代開式の世界を知る極めて重要な遺跡として長い間先史考古学の分野で知られてきた、高畠町の「日向洞窟遺跡」で、約半世紀ぶりに洞窟周辺部の再調査が行われた。この調査は、遺跡の広がりを確かめることと遺跡のなりたちを深めることを目的としている。

1955(昭和30)年10 月から始まった洞窟の調査は、縄文時代初期の土器類を研究する大きな契機となり、町内各地で遺跡調査が進められてきた。その結果、町内では、日向洞窟、一の沢岩陰、火箱岩洞窟、大立洞窟(以上、国指定史跡)、神立洞窟、尼子岩陰の6 遺跡が縄文時代草創期文化圏ともいえる極めて重要な遺跡群として次々と発見された(全国で縄文時代史跡洞窟の指定史跡は18件で、高畠町が4 洞窟を占めている)。町内にはこの6 遺跡以外にも縄文時代遺跡があり、高畠町が古代から定住に適した地域であったことを物語っている。弥生時代にもこれらの洞窟や岩陰を利用していたことは、出土した弥生時代土器類の充実度を見ても明白で、標識遺跡にもなっている。多雪地である高畠町で稲作が始まっていたわけだから(水田跡は未発見)、洞窟や岩陰遺跡での生活をどう考えればよいのか。また、洞窟古墳の存在(横穴式石室・古墳時代終末期)も特徴としてあげることができる。

向洞窟以外の洞窟や岩陰群は、山中にあって森に囲まれ縄文時代そのままの雰囲気の地にあるが、日向洞窟は平地にあり、前面の平坦部からは竪穴住居も確認され、沼地も近いことから、日本列島の中でも珍しい遺跡として注目されることは確実だ。将来的に、国指定4 遺跡を組み合わせて整備・活用すれば、日本を代表する縄文時代草創期の遺跡として評価される日もそう遠くはない。

 

 

【たかはた便り⑦】2015/9/1

盆をすぎて夜ともなれば「コロコロ」時には「ガチャガチャ」と虫の声が聞こえるようになった。山形市のエンマコオロギの初鳴きは8 月5 日で平年より9 日も早いと地方気象台が発表していた。ススキの開花も3 日で平年より12 日早く観測されたらしい。日の入りもお盆すぎからはめっきり早く、夏至(6月22日)より30 分以上も早まっている。

 

畠町の青竹ちょうちんまつりは、8 月15日にみこしパレード8 基が「ワッショイワッショイ」の掛け声で威勢よく練り歩いた。町内小学生が描いた「絵ちょうちん」700 個も飾られ目を引いた。このまつりは「御仮屋のまつり」ともいわれる。安久津八幡神社のみこしが毎年8 月15日に高畠厳島神社に遷座し「お仮屋」をする。この時、道筋の家々では、近くの屋代川の川辺に茂る笹竹をとり、それに紅ちょうちんを提げておみこしを送迎したのが始まりとか。16日の夜には「ヤッショマカショ シャンシャンシャン」の声に合わせて踊る「高畠花笠音頭」と「高畠音頭」の民謡パレードがあり、43 団体2,400 人の大パレードを見ようと沿道は大賑わいだった。

 

たかはた共生プロジェクト高畠分室  遠藤周次

【たかはた便り⑥】2015/8/1

畠町では、NHK山形放送局との協力で山形発地域ドラマ「私の青おに」の制作が秋の放送(NHK BSプレミアム)をめざして先月から撮影が始まった。高畠町出身の童話作家・浜田広介の名作「泣いた赤おに」が出版されて80年。この間「赤おにと青おにの友情物語」は多くの人々に感動の心を与えてきた。ドラマは、現代の高畠町で若い二人の女性が「友情と人生の選択」を美しい高畠町の田園風景をバックに展開するもの。多くの町民がエキストラに出演して、オール高畠でドラマづくりを応援している。作・相沢友子 音楽・本間昭光 出演・村川絵梨、木南晴夏、眞島秀和、中島歩など。

夏を過ぎると次々と咲くのが、山形が生産量日本一を誇る「紅花」だ。紅花は染料の原料と口紅として大いに重宝されている。芭蕉は「まゆはきの 俤おもかげにして 紅べに粉の花」と今頃の風景を謳っている。山形県では、新品種「夏なつ祭まつり」を開発、小さな花を沢山つける切り花用に最適だとして3年になる。アニメ映画『おもひでぽろぽろ』の舞台となった(実際には、高畠町和田の風景が多い)山形市高瀬地区。県内一の生産量を持つ白鷹町。紅花の抗酸化作用を活用した料理教室を開いた天童市など、県内各地で「紅花まつり」が開かれた。「行くすゑは、誰れが肌触れむ紅の花」

 

たかはた共生プロジェクト高畠分室  遠藤周次

 

【たかはた便り⑤】2015/6/1

「犬の宮」から「猫の宮」そして「蛇壇(へびだん)」へ

 犬の宮とs_taka_1512猫の宮に関する由来などについての伝説写本は複数ある中、昭和30年代に高畠高校(文芸部)の生徒達が耳と足でまとめたものを紹介する。

 この物語には「人年貢とは大古狸を三毛犬・四毛犬が食い殺した時、流れた血を近くの池に住んでいた小蛇が吸い込んだことから大狸の魂がその蛇に乗り移り、里へ出て両犬に殺された報復をしようとして庄屋の女房と夫をねらっていた」と続くのである(猫の宮物語)。

 そして、猫に姿を変えた「聖観音菩薩」によって大蛇は食い殺されるのである。さらに「小蛇は水中に住むもの、池を埋め、猫を葬り祠を建てて信心せよ」とのお告げもあって猫の宮が建立される。その後、大蛇の死骸は高安から北東の地(小郡山(こごおりやま))に埋葬され、たたりを恐れ壇を築き祠を建立した。その地を「蛇壇(へびだん)」と呼ぶ。ここには伊豆神社があり祭神は彦(ひこ)火(ほ)火(ほ)出(で)見(みの)尊(かみ)で、例祭は小郡山と高安の合同で当たっていたが、今では高安からは参加していない。 蛇は龍と同格であることから、彦火火出見尊(山幸彦)との関係性は極めて高いとみられる。この場所の中央には巨岩(凝灰岩)があり、西に4個、東に5個、北へ向かって16個、西端の立石から北へ17個、中央から西に2個の石碑がおかれており、古杉が4本、若杉2本、西端には東湖(とうこ)梨(なし)(山梨・小泉博士命名)が1本、樹齢は不明である。

 めっけ犬伝説には県内にもいくつかある。最上のしっぺい太郎、村山のべんべこ太郎、そして庄内は大山の椙(すぎ)尾(のお)神社「犬祭り」は、特に知られている。一般的には、これらのことは

猿神伝説で人身御供をささげていた猿神は、実は猿(ひひ)や狸で、犬を送りこんで対峙するという昔話とされてきた。この伝説を、新羅系渡来人の産鉄族が丹波の国から出羽へやってきたことによって生じたタタラ族との戦いであるという見方をする説(近江雅和著『出羽物語』にも興味がわいてくる。

 

 

【たかはた便り④】2015/4/1

たかはた昔がたり

第3回 高畠・石の文化

 

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旅人の記憶を止める休み石

休み石


高畠の町並みの魅力の一つに、様々な表現を托された「高畠石」があります。町内で産出される凝灰岩の総称で、加工しやすく火に強い性質を持っています。

 門柱、石塀、石蔵などの建造物、石臼、火鉢、あがり石、石風呂、流し台、石桶、手水鉢、石橋、堆肥塚、井戸側石、サイロ、石鳥居などにも用いられました。出色は江戸時代以降、10基ぐらい残っている「休み石」です。

 

童話作家浜田広介が「道ばたの石はいい。いつも青空のもとにかがみ、夜は星の花を眺め、雨に濡れても風でかわく、それにだいいちだれでも腰をかけていく」とうたった休み石。重い荷物を背負った旅人達はこの石に腰をかけ一服の煙をくゆらしたことであろう。町内には、高安、塩森などの街道沿いに10基ほど残っているが、そこに昔の旧街道をたどることができる。人の心の温かさが身近に感じられる。(高畠町文化財保護会)

 

 高畠石はかって町内12か所の石切り場から採掘され、戦後は40人ほどの石工がいました。しかし平成22年最後の石工が引退し、150年以上続いた職人の手掘りによる高畠石の採掘は終わりました。

 

 

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町内に残る最後の石切り場

なかたち石


全国でも珍しい「なかたち石」(山形市小姓町・安山岩)がこのほど山形市の有形文化財に指定されました。この石は文久元年(1861年)につくられたもので、高さ157㎝、幅34㎝、厚さ34㎝の角柱型の碑です。正面には「なかたち石」左面「たつぬる方」右面「をしへる方」背面に「夫も物を得るは云々」終わりに「文久元年辛酉(かのととり)五月・新山寺現住是光誌・施主妹尾嘉兵衛」と刻んであります。つまり迷子や尋ね人、乳母などの人探しや紛失物を捜すために、訪ねたいことを紙に書いて左面に貼っておくと、それを教える人が右面に貼って知らせるという仕組みなのだ。現在の伝言や情報交換の役割を果たしていたものと思われる。誠に人の善意が伝わるほほ笑ましい光景を見る標石です。

 「なかたち石」はそうした善意の仲介という意味で、この時代はこのようなものまで必要なくらい人の出入りが多かったのではと思ってしいます。今のインターネット質問サイト的で地域限定型ともいえるでしょうう。昔、そこに住んでいたという86歳の女性は、「たつぬる方」には迷子、お乳を下さい。子供の靴や靴下、手袋のサイズと住所・氏名が。「をしへる方」には親切な答えがありました、と書いていました。このような石碑は全国で24基、山形県内では上山市と2基のみだとか。幕末期の貴重な庶民のくらしが見えるようです。

 

 

 

【たかはた便り③】2015/3/5

たかはた昔がたり

第2回 庚申講(庚申待ち)

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路傍に立つ「庚申塔」

2月13日は、今年の初庚申の日である。十干十二支を順次組み合わせると60通りができる。その57番目が庚(かのえ)と申(さる)の組み合わされた庚申(かのえさる)の日を庚申(こうしん)の日といって特別な日になっている。講中の仲間が寄り集い、無病息災、長命を祈願する。古くは中国道教の説く信仰によるものだとの説もある。人間の体の中には上尸、中尸、下尸の三尸(さんし)の虫がおり、庚申の晩に、眠っている体から抜け出して昇天し道教の説く最も地位の高い天帝にその人の悪行三昧を報告すると言われている。どんな善人でも多少は気になる行為をしているのは常だから、この日だけは、眠らなければよいと考えたくなる。しかし寝ずに起きているには、日中の労働に疲れている人々が徹夜をすることで、並大抵なことではなく翌日にもたたる。そこで七ツ(明け方4時)には帰ることもあったが、今では夕方に集まり2~3時間でお開きとなる。

 

 

 

60日に一度巡ってくる(年5~6回)庚申の日は、夕刻になると講中で順廻りに定めた宿に入浴を済ませ身を清めた男衆が集まる(女性は参加できない)。庚申袴と羽織の礼装に身を包んだ年長者が導師役をつとめ威儀をただした信仰行事が始まる。床の間には、「青面金剛明王」や「猿田彦」の描かれた掛軸(文字だけの「青面金剛童子」「猿田彦大神」もある)をかけ、酒、灯明、ご飯等を供え「オンコウシンレイ、コウシンレイ、マイタリ、マイタリ、ソワカ」(7回・48回・108回など講中によって違う)と唱える。唱え文言は「シュリ、シュリ、シュリ、シュリ、マカシュリ、ソワカ」(7回)「ショウメンコンゴウドウジ」(3回または12回)など地域によっていろいろだ。この拝みあげが終わると参加者は宿が準備した精進料理(男性が料理する)で夜更けまでおしゃべりをする楽しいひとときであったと思う。この晩だけは、他人の讒訴(悪口)を言ってもよいとされていたというが真偽のほどは不明だ。

申は金の神、福の神ともいわれ、不信心をすると災難にあうことも。また「庚申荒れ」と言われ、この日は天気が悪くなることが多いとか。初庚申の時、紙片に「盗人の夜来る道は死出の山、生きて再び帰ることなし」と書いて戸口に斜めに貼ると盗人除けになるとも。この信仰に寄せる人々の願いの重みを知ることができる。

つ頃から、この「庚申待ち」があったのだろうか。町内には「庚申塔」「庚申供養塔」「青面金剛明王」「三尸消去塔」「青面金剛供養塔」「猿田彦大神」などの石碑が沢山ある。そこから推測すれば、庚申信仰の隆盛を物語るもので、町内の民はこぞって講に入っていたことを知ることができる。古い石碑では、天正9年(1581年)とあるのを見ると安土桃山時代(伊達時代の末期・輝宗死去の年)には、既に行われていたことが解る。大部分の石碑は江戸中期・後期が多く、明治・大正・昭和の碑も散見される。青面金剛碑(しょうめんこんごうひ)には、上部の仐の部分に、日輪月輪を刻み、中央に金剛像を、その下に邪気が、そして香炉を持った二童子(両わき)と四夜叉を従える場合がある。さらに左手にショケラ(女人)の髪をつかむ像もある。台座に三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)や二鶏(雄雌)が刻まれている珍しいものもあるので一度ゆっくりながめてみてはどうでしょうか。

(たかはた共生プロジェクト 高畠分室 遠藤周次)

 

 

 

【たかはた便り②】2015/2/5

たかはた共生プロジェクト 高畠分室遠藤周次

‚Ü‚Ù‚ë‚Γ~ç‚«‚Ú‚½‚ñ‚܂‚è@‚±‚à‚Ì’†‚Å‚«‚ê‚¢‚ȉԂðç‚©‚¹AŠÏŒõ‹q‚ðŠy‚µ‚Ü‚¹‚Ä‚¢‚é@^ŽRŒ`高畠町の冬の風物詩「第14回まほろば冬咲きぼたんまつり」が2月7日から11日までJR高畠駅前(太陽館広場)を主会場に開催される。雪に鮮やかに映える「ぼたん」は見ごたえがある。夜には藁で編んだコモの中のぼたんがライトアップされて幻想的な姿を見せる。
5月に咲くぼたん70種類(80鉢)が並べられ、見ごたえのある冬景色。町内の主要観光施設にも「ぼたん」が展示され、祭りを盛り上げる。
問い合わせは高畠町観光協会0238-57-3844へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たかはた昔がたり

第1回猫の宮の由来

 

 yama_0214猫の宮:養蚕の神として信仰があり、ペット(猫など)の神様としても知られ、訪ねる人も多い。

 高安部落(現在の差別用語にあたりますが、文化的・歴史的背景を考慮し原文の通り記します)に入る道路の右手に猫を祭った祠堂があります。これについて次のような言い伝えが残っています。
 昔、高安の庄屋さまにはどうしても猫が育たなく、どうした事だろうと様々な猫を飼ってみました。だが一年も飼っていると何処へいったのかいつの間にか行方がわからなく姿を消してしまいます。庄屋さん夫婦は村にある犬の宮へ日参して「大切にそだてますから、どうか猫を一匹お授けくださいますように」とお詣りしました。いよいよ満願の日の夕方、庭先で一匹の猫が迷っていました。白斑の子猫で、人なつかしげに寄り添ってきますので、庄屋さん夫婦は喜んで、犬の宮のお授けだとして、大切にして育てました。

 

yama_1或る時、庄屋さんのおかみさんが病気になりました。いくら看病しても日増しに弱ってくるのです。猫はおかみさんの傍から一寸も離れません。ことに、便所に行くときは走り寄ってきて、用の終わるまで目を光らせて待っているのでした。こんな風でしたから、女将さんは何となく薄気味悪くて、このことをそれとなく夫へ話しました。そしたら「よし、そんなことなら考えがある」と或る日のこと、夫はおかみさんの着物を着て便所へ行きました。猫はいつもの通りついてきましたので、恩を仇にする畜生奴、成敗してくれると、隠し持った刀で、猫の首を打ち落としました、「ギャツ」と一声、その首は天井へ飛んでいきました。とたんに大蛇の鎌首に噛みつき、血まみれとなってどっと落ちてきました。
庄屋は「あゝ悪いことをした。こんな忠義な猫を殺すのではなかった」と涙を流して猫の首を抱いて謝るのでした。おかみさんも、共々悲しみ、篤く弔って供養をしました。
 その後.永和二年(1376年)この猫のために祠堂を建てましたが、これが猫の宮なのです。また。この大蛇は高安から600㍍東北にある小郡山部落に埋めましたが「蛇壇」というのがそれで、昔から、高安の人々が酒十盃と豆腐十丁を持参してお祀りするそうです。
 (高安には犬の宮、猫の宮が祭られている。庄屋が「犬の宮」に詣でた筋立てには、猫の宮由来に係わる伏線がある。)

 

 

 

 

 

 

 

【たかはた便り①】2015/1/5


yuki takahata

「青鬼サロン」(たかはた共生プロジェクト)は高畠が積雪期に入った12月からサロンを中断しています。年あらたまり、雪国・高畠の自然と人びとの味わい深い営みを、たかはた共生プロジェクト高畠分室の遠藤周次さんに報告していただきます。初回は「正月の郷土料理」です。

 

 

 

 

 

 

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 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

町内で食べる正月縁起物を紹介します。

 

◎ひょう干・すべりひゆの煮つけ

夏の畑などに雑草として生えている「すべりひゆ」を軽くゆでて、乾燥させて保存する。正月の三が日の間に、悪病よけや、ひょっとして今年も良い

ことがあるようにという願いを込めて食べる。一昼夜水に浸して戻したものを3㎝位に切り、水気を軽く絞り、鍋に油、しょうゆ、だし汁を入れて、ゆっくり煮含める。若干の唐辛子などを振って食べる。油揚げや竹輪などを入れると変わった味が楽しめる。戻したものに直接唐辛子などを振って「おひたし」として食べてもおいしい。

 

◎なす干し・なすの煮つけ

8月お天気の良い日に、厚切りにした茄子を並べて乾燥させる。何事も成すように、また、借金などをなす(返済する)ということで、これも正月にはよく食べる。茄子を熱湯で戻し、翌日水から火にかけて2,3度ゆでこぼしてアクをとり、水分を絞り、油、しょうゆ、酒、砂糖などで味をつけるが、好みによって、油揚げ、打豆、ひき肉などを入れてもよい。

 

 ◎七草粥

新年の無病息災を願い、正月の飲食で疲れた胃腸を休めるために、セリ、ナズナ、

ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを刻んだ「七草粥」を食べる。しかし雪深い地域では、昔は七草を供えることが出来ないので、栗、干し柿、かやの実、切り昆布、クルミ、ふのりなど、その家にあるもので代用した。

 

◎そのほかに縁起を担いで食べるもの

元旦に粕汁を食べると「金」を他人に貸すようになる。松の内の3日間、朝の朝食に梅干しと南天の赤い実を食べると「難」をのがす。

 

◎「かぶ汁」

大株主になれるように。正月三が日の朝食にトロロ汁を食べると風邪をひかない、長寿に。

 

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